大阪のクラブ(CLUB)に関するニュースやマスコミ報道を田副暢宣事務所のスタッフがまとめました。

ディスコ復活 キタに2003年9月開業(2003年9月20日、産経新聞)

「1980年代」大ブレーク

東京のマラハジャに続き、大阪でも

1980年代に一世を風靡(ふうび)した「マハラジャ」など伝説のディスコが東京で次々に復活、おじさんやおばさんの人気を集めるなか、大阪・キタでも2003年9月24日、ついにディスコが復活する。当時のヒット曲を集めたCDはもちろん、あの時代を描いた小説や劇画も登場し、今や“1980年代もの”は大ブレークの様相。バブル絶頂期に青春を送った世代ゆえの懐古趣味なのだろうか…。

アバのダンシングクイーン

「バンド演奏でアバのダンシングクイーンがかかったとたん、みんなが踊りはじめたんです」

堂島浜のビアホールでのハプニング

2003年の夏、大阪市北区堂島浜の「ホテル アンビエント堂島」が、ホテル宴会場で開いた期間限定のビアホールでのハプニング。企画した紙田エリアマネジャーは、その光景に目がくぎ付けになった。そして、大阪で「ディスコ復活」を仕掛けようと決心した。

期間限定イベント「サウンド・カーニバル」
クラブDJが選曲したディスコサウンド

会場は同じ場所。「サウンド・カーニバル」というタイトルのイベントを期間限定(2003年月末まで)で開催する。米国から招いたバンドが1960年代のオールディーズから1980年代後半のユーロビートまで生演奏。合間に関西で活躍するクラブDJが選曲したディスコサウンドがかかり、ミラーボールなどで当時のディスコの雰囲気を演出する。

フリードリンク、フリーフード
20歳未満の入場はお断り

フリードリンク、フリーフード。ホテルシェフが調理した約40種類の料理も売りだ。20歳未満の入場はお断りで、短パン、ジーンズ、スニーカーなどラフな服装も禁止。入場料は男性4000円、女性3500円(金曜、祝日前日は500円増し)。

30代後半から40代にかけての世代
居酒屋やカラオケボックス以外

「居酒屋やカラオケボックスでは満足できない30代後半から40代にかけての世代が遊べる社交場がない。みんなが待ち望んでいるはず」。紙田マネジャーは自信たっぷりに語る。

青山に「キサナドゥ」、六本木に「マハラジャ」
1980年代後期のユーロビート

東京では2002年、青山に「キサナドゥ」が、2003年8月末には六本木に「マハラジャ」が復活。30代後半から40代のサラリーマンやOLに人気を集めている。かかる曲は、アース・ウインド&ファイヤー、ホール&オーツといった人気グループの“定番”や、1980年代後期のユーロビートが中心。週末ともなるとフロアは芋洗い状態となる。

80年代洋楽のリバイバル
ベスト盤CD

FM802(大阪市北区)の古賀正恭プロデューサーによると、1980年代洋楽のリバイバルは4、5年前にさかのぼる。1980年代のヒット曲がCMで流れ、ベスト盤CDとして店頭に並んだ「観賞」としてブームだった。

懐かしのメロディーをBGMに
「聞く」から「踊る」へ

ここ数年で、そんな懐かしのメロディーをBGMに流すバーなどが大阪でも現れ、大人の“癒やしの場”として注目を集めていった。そして、ついに「聞くだけではもの足らず、よりアクティブに『踊りたい』という欲求が高まり、ディスコ復活ヘとつながっていったのでは」とみる。

トップ50に3作品
オリコンのアルバムチャート

CDの売れ行きはいぜん好調。2003年8月、音楽市場調査のオリコンのアルバムチャートのトップ50にディスコの名曲を集めたCDが3作品入った。

テレビ番組、小説、劇画
各メディアでも1980年代ブーム

テレビ番組では、1980年代のヒット曲を中心にタレントが歌い踊る、テレビ大阪系の「最高ブギウギナイト」(2003年9月12日放送終了)。小説では、バブル絶頂期の東京が舞台、ディスコの黒服だった男が主人公という「生誕祭」(馳星周著)。劇画では、当時の大学生活を描いたその名もずばり「東京エイティーズ」(週刊ビッグコミック・スピリッツ連載)が登場、話題を呼んでいる。

40代は人生の折り返し地点

40代といえば企業の中堅クラス。油がのって最も仕事ができる時期だが、人生の折り返し地点でもある。なんとなく中途半端で、もやもやした閉(へい)塞(そく)感をいつも抱えている世代かもしれない。

週末にディスコで“フィーバー”

「あの日、あの娘と聴いた、あの曲を、たくさんかけていきますよ」という紙田マネジャーの言葉を聞くと、週末にディスコで“フィーバー”したくなる気分も分かる気がする。

1980年代の出来事とダンス系洋楽ヒット曲
1980年9月イラン・イラク戦争始まる
12月ジョン・レノン射殺
スーパー・トゥルーパー(アバ)
1981年3月中国残留孤児初の正式来日
7月英国皇太子結婚
フィジカル(オリビア・ニュートン・ジョン)
1982年2月ホテルニュージャパン火災
4月フォークランド紛争勃発
墜ちた天使(J・ガイルズ・バンド)
1983年5月日本海中部地震(M7.7)
10月ロッキード事件で田中角栄被告に有罪判決
ホワット・ア・フィーリング(アイリーン・キャラ)
1984年1月東証平均株価初の1万円台に
3月江崎勝久グリコ社長誘拐事件
フットルース(ケニー・ロギンス)
1985年3月厚生省(当時)が初の日本人エイズ患者認定
10月阪神タイガース21年ぶりリーグ優勝
マテリアル・ガール(マドンナ)
1986年1月スペースシャトル爆発事故
4月チェルノブイリ原発事故
ビーナス(バナナラマ)
1987年5月朝日新聞阪神支局襲撃事件
10月米株式大暴落(ブラック・マンデー)
すてきなサムバディ(ホイットニー・ヒューストン)
1988年6月リクルート事件発覚
8月ソ連軍がアフガニスタンから撤退完了
ネバー・ゴナ・ギブ・ユー・アップ(リック・アストリー)
1989年1月昭和天皇崩御、元号が平成に
11月東独国民出国自由化(ベルリンの壁崩壊)
12月東証平均株価史上最高の3万8915円87銭に
レット・ミー・ダウン(マイケル・フォーチュナティー)

ディスコ“再現”へ ハイアット・リージェンシー大阪

バブルな興奮

2003年2月20日、産経新聞

VIPルーム

バブルな興奮がよみがえる?-。ハイアット・リージェンシー大阪(大阪市住之江区)は、2003年3月20、21の両日、1980年代のディスコを“再現”したイベントを開催する。往年の有名DJが参加し、「VIPルーム」も特設してムードを盛り上げる。

ホテルのダンスイベント
1980年代に大流行したディスコ

ホテルのダンスイベントは若者に人気のクラブ形式が多いが、あえて1980年代に大流行したディスコに注目。「当時を懐かしむ40代前後の大人が楽しめるパーティーを」と、やはり40代の横山健一郎総支配人らが中心になって企画した。

マハラジャ・マルビルのDJ
アース・ウインド&ファイアー「セプテンバー」

当日は、パーティースペースに豪華なディスコを“再現”。1980年代に一世を風靡(ふうび)した大阪のディスコ、「マハラジャ・マルビル」などで活躍した元DJが参加し、アース・ウインド&ファイアーの「セプテンバー」など代表的ディスコソングを流して盛り上げる。

特別宿泊プランも

基本料金は男性6000円、女性4000円だが、プラス2000円で「VIPルーム」も利用できる。有料でベビーシッターサービスも提供。特別宿泊プランも用意する。

1970~1980年代ブーム 懐かしの時よ再び(2004年4月19日、毎日新聞)

1970~1980年代の音楽やファッションがブームになっている。

ディスコ音楽
サウンド・バー「オン・アンド・オン」

大阪市北区に2003年7月オープンしたサウンド・バー「オン・アンド・オン」。DJが選曲した1970~1980年代のディスコ音楽に合わせて、「中年」の一歩手前の30代を中心に、20~40代の幅広い世代がリズムをとる。店長の小林さんは「若い人が中心のクラブに比べて、音楽も耳障りでなくてなじみやすい」。

1980年代後半のバブル期に一世を風靡(ふうび)したディスコ「マハラジャ東京」も2003年8月に復活した。

ディスコナイツが40万枚のヒット

ブームの先駆けとなったのは、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)が2002年に発売したCD「ディスコナイツ」。1970~1980年代のディスコ音楽を集め、売り上げは40万枚を突破した。5万枚売れれば成功とされる分野では記録的なヒットで、他社も追随。この分野がCD店の一角を占めるまでに成長した。

木村拓哉さんが主演したドラマ「プライド」
主題歌や挿入歌にクイーンの曲

人気タレントの木村拓哉さんが主演したドラマ「プライド」では、1970~1980年代に活躍した英国のロックバンド、クイーンの曲を主題歌や挿入歌に採用。2004年1月に発売されたクイーンのベスト盤は120万枚を超えた。

30~40代のクリエーター

ブームが再来しているのは「クリエーターに30~40代の層が増え、自分が懐かしいものを取り入れているから」(SME)という解釈が多い。プライドの脚本を手掛けた野島伸司さんも41歳で、1970~1980年代に多感な時期を過ごした世代だ。昔はレコード1枚買うのをためらった世代が、ゆとりが出来て消費の中心になったのも大きい。

バブル経済への憧憬

「オン・アンド・オン」で音楽に耳を傾けていた大阪市内の会社員(35)は「学生時代を過ごした1980年代は、日本が世界をけん引しているように見えた。こんな時代を迎えるなんて……」とため息をついた。ブームを支えるのは、長期停滞を招いたバブル経済への憧憬(しょうけい)なのかもしれない--。

クラブのダンスシーン(1993年4月23日、読売新聞)

若者のファッションはヒップ・ホップスタイルへ

平成不況が原因か

平成不況は、若者のファッションも変えたのか。バブル全盛時には、ブランドもので身を固めた高級品志向が目立ったものだが、最近は一転してラフな服装が増えた。野球帽などをかぶり、ダブダブのシャツにズボン、バスケットシューズという「ヒップ・ホップ」スタイルは、その象徴だ。

DISCOからCLUBへ
ドリンク付き2000円

ディスコからクラブへ。踊りの舞台も変わった。大阪・ミナミでは、ドリンク付き2000円で楽しめるクラブが人気を集めている。

レイブ

そんなダンスシーン(ダンス界の現状)で流行しているのが「レイブ」と聞いた。耳慣れない言葉だが、カリブ生まれの音楽「レゲエ」と「ライブ」を合わせた造語らしい。

夜通しフロアで踊る

「レイブ」で一躍有名になった東京のクラブもある。客は20代前半までの若者が中心で、夜通しフロアで踊り狂う。

神戸・六甲アイランドでレイブパーティー
関西初のビッグイベント

そのレイブパーティーが1993年5月1日、神戸・六甲アイランドで開かれる。東京のクラブの売れっ子DJらが一堂に集まり、4000人以上が参加する関西初のビッグイベントだ。

円高

不況、円高と、とかく意気の上がらない話題が多いが、若者たちは、どんなご時世でも自分たちの楽しみを見つけ出す。すでに若者を卒業してしまった当方も、話を聞いて胸がワクワクしてしまった。

大阪ミナミのヨーロッパ村、いまラテン村?(1993年9月22日、朝日新聞)

中南米風の店が続々

大阪・ミナミのヨーロッパ村に、ラテン系のノリを売り物にする店が続々と登場している。バブル時代にもてはやされた欧州の高級ブランド品の店やブティック、ギャラリーの撤退が目立ち、代わって陽気な「ラテン」のノリと低料金が受けた。不景気が続くためか、「遊びぐらいはパッと騒ぎたい」と若者やサラリーマンらで盛況だ。

心斎橋のレストランシアター
ブラジルのサンバチームのショー

大阪市中央区東心斎橋1丁目のレストランシアター「オ・セイリュウ」は1993年8月、ブラジルのサンバチームのショーを始めた。約20人が華麗な衣装を身につけ、情熱的で陽気な踊りを見せる。「踊りと演奏のレベル、規模とも日本ではここだけ」(ブラジル連邦政府商工観光省)という本格的なステージだ。最近は“関西流ラテン”で踊り出すOLや会社員の姿も。

1990年に中南米のショーを始めた時は客が集まらないことも多かった。バブルが崩壊したころから急増し、110前後の席を1993年から30ほど追加した。

オ・セイリュウ

「オ・セイリュウ」の吉川社長は「景気が悪くなって『客足が遠のく』と心配しましたが、反対の結果でホッとしています」と話す。

心斎橋の中南米料理店
革命前のキューバのキャバレーのイメージ

大阪市中央区東心斎橋2丁目では1993年の春、大阪市内の飲食店グループが高級クラブを店じまいして中南米料理店「ハバナ・トロピカーナ」にした。「革命前のキューバのキャバレー」のイメージで、3000円出せば料理、演奏を楽しめる。客からは「とにかくラテンはハッピーだから」=西宮市・大学4年生谷口葉子さん(21)、「景気も悪いし、せめてラテン気分で盛り上がろうと。陽気で情熱的なところは関西人にぴったり」=大阪市阿倍野区・会社員江口広さん(23)などの声が上がる。

コロンビア、メキシコ人らの外国人客

週末には、コロンビア、メキシコ人らの外国人客が4割近くを占めるという。

ペルー人のギター演奏
バンド演奏つきのブラジル料理店も

1992年末、ディスコを「メキシコのリゾート地」のイメージに変えた飲食店もある。ここでは最近、ペルー人がギター演奏を始めた。バンド演奏つきのブラジル料理店も1993年に入ってオープンしている。

ヨーロッパ通り商店会

ヨーロッパ村中心部の店でつくるヨーロッパ通り商店会の小林正明会長は「サッカーのJリーグ人気のように、軽快なノリと陽気さが若い人たちに受けるのだろう。さまざまな国の人たちが増えて国際化が進んだ影響もあるはず。ヨーロッパ村のイメージも変わっていくかもしれない」と話している。

ヨーロッパ村とは

ヨーロッパ村とは、ミナミの繁華街の一角にあり、南北は周防町通りかいわいから長堀通まで、東西は御堂筋-堺筋間の一帯をいう。10数年前から欧州の高級ブランド店などが進出。ガレージセール風の店が集まる西側の周防町通り一帯がアメリカ村と呼ばれるのに対し、ヨーロッパ村と呼ばれる。